同床異夢の寝言

こちらでyasudayasuhiroさんが書かれている7月24日のエントリを読んでて、ふと思ったコトをメモ代わりに。
オタクを一神教ではなく多神教の考え方で読み解くのが、腹の中で消化不良気味だった「主催者たちの意味不明な蠢動」の疑問に太田胃散のごとく効いた。日本のオタクっつーか、日本人には“偉大なる将軍様(カリスマ)”も“天の父なる神(宗教)”もいない。これは良くも悪くも『物事の考え方を評価する軸』がまとまっていないってコトで。

カリスマを持つ人が周囲から神格化されて、やがて宗教みたいになるのは、集団としての軸を整備するために具合のいいツールだと思ってたけど、これはどうも正解のようだ。集団が効果的に機能するために必要な前提に「目的」は欠かせないものだ。だが、デモ主催者は目的を“デモ”と云う手段の実現に置いていた。幸運も手伝って目的であったデモは、表から見る分には問題なく実行されたが、ここで欲が出たのかもしれない。

『物事の考え方を評価する軸』がまとまっていないのに、共通の目的を達成しようと云うのは同床異夢ってヤツで。ここ数日の彼らの行動は、頭になっていたfurukatsuさんを切り落としてしまったために、次の頭は俺だと個々に好き勝手なことを言い出しているように思える。そんな中で、柳橋曹長あたりにやらせておけばいいものをSyuu-chanは自分からせっせと軸の整備に汗を流している。これはアレか。群雄とった各派の間を跳び回って、調整役と云う名の“黒幕”になりたいのだろうか。なかなか楽しそうな遊びである。さぞエキサイティングであろう。桟敷席で眺めつつヤジを飛ばすボンクラも楽しいぞ。サタデーナイトはオーナイダンス。キーポンミュージック。先生、踊り子さんに触ってもいいですか?