お見舞い申し上げます。

まいどー。週末に友人らとリンゴ狩りに行って参りましたボンクラでございます。秋の味覚と云うヤツですが、間引きせずに育てたリンゴの木は、1本から400個近い果実が穫れてしまうコトを知らず・・・現在、大量のリンゴに頭を抱えております。おすそ分けで減らしてはいるものの、ボケてしまう前に食い切れるんだろうか。

毎食後とオヤツと夜食にリンゴ食ってます。食い過ぎたらハラ壊す、なんてコトはあるのかなぁ。

さて。革非同ブログの最新エントリにて、なかなか興味深い内容が語られておりましたので、今回ご紹介したいと思います。
MIAUの設立に対する支持と運動の孕む問題について
文中の『社会運動の胡散臭さ』と云う章より。

これは私が先日主催し、そして最終的に運営から追い出された6・30アキハバラ解放デモについてもそうであったが、いわゆるこういった社会運動には独特の病理が存在している

自らを絶対的な正義と信じ批判を受け入れず批判者に対して敵対していく、そういったことがいわゆる社会運動では多々ある。また、組織の内部での異見対立からケンカになり別れるというような事例は枚挙に暇が無い。こういった社会運動の胡散臭さの増長に結果的に荷担してしまった自らの不明は恥じ入るばかりであるが、確かに、社会運動にはそうなりがちな傾向があることは認めなければならないだろう。

私は自分の正義を全く信じていないし、精々信じているのは利害というレベルに過ぎない。正義というのは利害の味つけである。しかし、ついつい社会運動では自らの主張こそ絶対の正義でありそれに逆らう者は悪であると、様々な言い訳と理屈をつけながら排除の原理を強化してしまう傾向にあるのだ。

※強調部は引用者の判断に拠る物です。

「ひみつ結社」の発言ログを見ても、フルカツさん自身もデモ批判者を侮蔑するような発言してますもんね。ここは大いに恥じ入っていただきたいところです。それにしても“社会運動には独特の病理が〜”と云うのは、かなり大胆な発言っスね。かつて自分が属していたデモ実行委員会と、その周囲にいる者たちを【病気】であると言ってるんですから。

現在に至る彼らの行動や発言を見る限り、否定できんけど(笑)
人類皆兄弟さんが管理してるmixiコミュ「アキハバラ解放デモの次へと…」参加者のように、現在進行形で病状が悪化している方々もいますしね。堅く口を閉ざして、全てをやり過ごそうとしている「外れ者」たちも同様でしょう。

ただ、アキバデモに限って言えば、「社会運動の胡散臭さ」と云うのは少々疑問です。胡散臭いのは“社会運動”ではなく『自分のエゴを社会運動にすり替えようとする者』が自己正当化のために掲げる謳い文句ですよ。万人に受け入れられる正しさがあれば、ワンフレーズだけで多くの同意を集めることが可能でしょうし、批判の声が上がったとしても適切な対応ができるハズです。
それができない/しない(する気がない)のは、その運動に対して本気じゃない・批判が真っ当すぎる・メッキが剥がれる、みたいに“胡散臭さ”の原因がバレてしまうから、なんじゃないスかね?

てなワケで。不肖・やまざき、フルカツさんを含む元・デモ実行委員会メンバー及び、周囲にいる患者さんたちの快癒をお祈りし、心よりお見舞い申し上げます。


ところで、その病気は・・・治るモノなんですよね?